父との思い出

皆さん おはようございます。

カルフォルニアは本日が大晦日ですが

日本は一足先に2019年が始まりましたね。

 

毎年 私の誕生日でもある大晦日には日本に住む両親と

電話やスカイプで話していたのですが

50歳の誕生日はちょっぴり寂しい誕生日…

 

日本時間の12月21日 午前8時20分

私の父が 急性心筋梗塞で79年と20日の人生を閉じました。

あれから10日という時間の中で

少しずつ整理してきた私の心のうちを書き留めておこうと思います。

モンダビワイナリー

ワインが好きだった父とはよくナパバレーに出掛けました。モンダビワイナリーにあるアッシジのセントフランチェスコ像の前にて

父が亡くなった前日は

母の定期検診のため 車で病院に連れて行った後

何か甘いものを買って行こうと彼女が大好きなケーキ屋さんに立ち寄り

いつものように母が準備した夕食を食べたあと少し散歩をし

お風呂に入ったあと 床に就いた父は

朝方の4時半頃に少し呼吸が苦しくなり

隣の部屋で寝ていた母を呼び背中をさすってもらった後

容態が良くならなかったので救急車を呼び

病院で処置を受け始めて3時間ほどで旅立った父

 

この日はたまたま関西エリアでの仕事の為

兵庫県西宮の家に戻ってきていた私の弟は

(彼は東京で単身赴任しています)

母からの連絡を受け 妻と娘と一緒に鈴鹿の実家に向かう途中

私にフェイスタイムで連絡をくれました。

孫と一緒の時間

自分の子供にはやったことのないことを楽しみながらやっていた父

子供達を学校に迎えに行って帰宅しスナックを準備していた私は

見慣れぬ名前の方からのフェイスタイム着信を無視

そしてその直後に私の目の中に飛び込んできた文字が

父他界という悲しいテキストメッセージでした。

 

ここ数年は 身体の老化に伴う不調が出始めてはいたものの

そのひとつひとつにきちんと向き合い治療してきた父は

数ヶ月前に行われた健康診断も無事クリアし

大好きなゴルフに行ったり 同窓会に出掛けたりと人生を謳歌中であっただけに

お世話になっていた医師や看護婦の皆さんはじめ

彼との付き合いがあった人々

そして

私達家族にとって父の旅立ちはあまりにも突然でした。

 

でも 今 振り返ってみると12月に入ってからの日々は

少しずつ 旅立つ準備を(無意識に)していたのかもしれません。

 

12月1日に79歳になった父は珍しく

誕生日祝いに富山の温泉に行ってあったまりながら美味しいカニとマグロを食べたい

と自分で旅行プランを立てていたそうで

(いつもは母が行きたい場所をリクエストするパターン)

誕生日の翌日から一泊二日の温泉旅行に母と出掛けています。

 

そして その数日後の8日には

忙しくて実家に立ち寄る時間をあまり作ることが出来ない弟から

(実家の)近くに仕事で行くから一泊して行くね

と連絡が入ったことを受け

買い替えが必要だった母のアイパッドを大急ぎで近くのお店に買いに行って

帰宅した弟にアイパッドの設定をして貰い

母は不具合が直ったことを喜んでいました。

じいじのビデオカメラ

世界中を旅して回った父が撮りためた動画コレクションの中には孫の成長記録も纏められています。

氣軽に実家に遊びに行くことが出来ない距離に住んでいる私にとって

アイパッドを使ってのフェイスタイム時間は貴重なファミリータイムであり

この数ヶ月 毎週金曜日には家族の絆を深めていたのです。

 

父が旅立つちょうど1週間前

カルフォルニア時間 14日金曜日のフェイスタイムでは

いつもは別の部屋で新聞を読んだりしていて登場しない父が

珍しく参加してくれたこともあり

90分ほど子供達ともいろんなことを話していました。

 

義父の看病生活が長期化しそうで

様々な面でストレスが溜まり始めてきていた私達に

まあ 無理をすることなくやっていきなさい

と優しく声をかけてくれた父

話し終えたあとも しばらくの間ずっと

私の心をすっぽりと包み込んでいた あのなんとも穏やかで心地良いエネルギーは

父から娘である私への愛のエネルギーであったのでしょう。

じいじとの時間

次男坊が産まれた時にはいつもより長い2週間という期間会社を休んで来てくれて私達をサポートしてくれた父

父は生前から

弟の職業柄(エンターテイメント業界に勤めています)

そして 私が海外に住んでいるだけでなくまだ 幼い子供達がいるので

すぐに実家に駆けつけることは無理であることをよく理解してくれていて

とにかく無理はしないようにと言ってくれていました。

 

そんなこともあり1人になった母が

しっかりと自分(父)の葬儀を執り行えるよう

かなり早い時期から 色々な葬儀関係の情報を集め準備をすることで

母だけで無く 残される家族皆に最後の最後まで

ありったけの愛情を注いでくれた父

じいじとの時間

長男坊で鍛えた腕を次男坊にも披露していた父

みんなに大きな負担が掛からないよう

シンプルな家族葬が良いねと母に話していた父の意向どうり

亡くなった翌日の22日にお通夜

そして

23日に告別式と初七日法要が執り行われました。

 

おそらく母にとっては

氣持ちの整理がつかないまま過ぎ去った数日であったと思うのですが

父や母の兄弟をはじめ 父が大切にしてきた友人達から

溢れんばかりの愛とサポートを受け取らせて貰った

とてもありがたく神聖な時でもあったようです。

 

日本には戻らずカルフォルニアに残っていた私のために

お通夜は 弟がフェイスブックのメッセンジャーライブで繋げてくれたお陰で

とても穏やかで今にも目を覚ましそうな顔の父を拝みながら

父と娘の最後の対話時間を持つことが出来ました。

 

本当は 告別式も

メッセンジャーライブで繋がる予定だったのですが

何故か告別式が始まる直前に彼の携帯電話が故障…

でも 不思議なことに式が終わると故障がなおったそうです。

じいじとの時間

いつも 孫達の成長を温かく見守ってくれていた父

きっと

式の最中くらいは携帯電話は使わないでくれよ

(仕事柄 今の時期 ひっきりなしにあちこちから電話がかかってくるのです)

という父からのメッセージだったのでしょうね。

 

長男坊 そして次男坊が産まれてからの数年は

毎年 クリスマスの時期に遊びに来てくれていた両親ですが

 

体力が追いつかなくなる前に

まだまだ見て回りたいところがたくさんあるんだよ。

と 再び母と共に世界中を旅し始めた父は

まさに 地球での時間を思う存分楽しんでいるという感じでした。

マチュピチュ

ロサンゼルス経由で行ったペルーのマチュピチュは 24時間という長時間フライトの旅であったそうです。

そんな感じで逢えない時間が数年続いたある日 長男坊が

じいじとばあばに会いたいから遊びに来て

とお願いしたのが2016年の1月で

孫達の願いを叶えるべく すぐに飛行機のチケットを買ってくれた父と母

世界中を旅して歩いた父にとっての

今生最後の海外旅行の地が私達の住むカルフォルニアとなったことを

とても感慨深く思います。

ヨセミテ旅行

じいじとばあばと一緒に行った夏のヨセミテ

もう そうちょくちょく来ることは(体力的に)難しいからと

いつもより長めの2週間滞在をしてくれた父と母

 

この時 なんとなく

父と過ごす時間はそう長くないかもしれない

と感じるところがあり

両親が日本に帰った数ヶ月後に私達家族4人分の

日本行き飛行機のチケットを購入した私

 

実は 私がチケットを購入した時点では旦那さんの休暇許可は降りていなかったのだけど

とにかく このチャンスを逃すことは出来ない

と少しずつ貯めてきたお金で飛行機のチケットを買ったことを覚えています。

 

きっと私に

無理をさせたくない

(里帰りしないことに対しての)罪悪感を感じさせたくない

という親心からなのでしょう

弟家族を含めた3家族が揃う機会については あまり触れなかった父と母に

私が家族4人分の飛行機のチケットを買ったことを連絡すると

え? 本当に来れるの?

と大喜びしてくれたことが昨日のことのように思い出されます。

 

私の両親にとって

いつか叶えたいけれど実際に叶えることは難しいだろうなあ

と思っていた夢が12年越しに叶った2017年の夏は

私達家族にとって一生の宝物です。

じいじとばあばと一緒

孫達と一緒の初めての日本旅行

私達がカルフォルニアに戻る日の早朝は

とても爽やかなお天氣でした。

母はタクシーで

そして

私達は父が運転する車で近鉄白子駅まで行き

近鉄特急に私達が乗り込むその瞬間まで一緒に過ごしました。

じいじとばあば

今も鮮明に想い出すじいじと過ごした最後の日

また 一生懸命お金を貯めて

家族4人で遊びに来るから待っていてね

それまで お互い 健康に氣をつけて生活しようね

 

そう言って思いっきりハッグした時に感じた

父の温もりは 今もしっかりと覚えています。

 

いわゆる 盆正月といったタイミングで家族が集まる事は一度も無かったけれど

だからと言って お互いのことが無関心というのでは無く

しっかりと深い部分で強く繋がっていた家族であったことを

魂の奥深い部分で再確認している今日この頃です。

 

次回のブログ記事では

父が築き上げてきた素晴らしい交友関係について

シェアさせて貰いますね。

 

Elven Blessings,

Mika