魂の故郷スイスアルプス

皆さん こんにちは

今日も山火事現場から流れ込んできている大量の煙の影響で

大氣がかなり汚染されている状況だったのですが

サンフランシスコのジャパンタウンへヘアメインテナンスに出掛けてきました。

サンフランシスコジャパンタウン

ラーメン大好きファミリーです

外食は殆どしない我が家にとって

ジャパンタウンでのラーメンは月一のお楽しみ時間なのです。

 

さて 今日のブログは前回の続きです。

1990年に日本を出た21歳の私は

ロサンゼルス郊外の住宅地ウィディアにある私立大学付属の語学学校に通い始め

この地で たくさんのヨーロッパ人の友達に出逢いました。

特に親しくなったのがスイス人男性4人組

私より2年ほど歳上で身長も180センチ以上の彼等と

お互い拙い英語で一生懸命会話をしながら育んだフレンドシップは私にとって宝物であり

私の魂の故郷への旅の始まりでもありました。

 

彼等がスイスに戻った数ヶ月後にスイスに飛び立った私。

 

ロサンゼルス空港からスイスのジュネーブ国際空港に飛び

トイレ〜トイレ〜

と走って中に入ろうとした私の目の前に立ちはだかった1人の女性

彼女にお金を払わないとトイレに入れないだなんて

誰も教えてくれなかったぞ〜

 

危うくお漏らし事件になるところだったスイス入国(苦笑)

迎えに来てくれていたピーターの姿が目に入った瞬間

ちょっと 聞いてよ聞いて〜状態でした あはは。

 

無事 懐かしの4人組との再会を果たしたあとは

ピーターの運転でゴッタルド峠経由のアルプス越えドライブ!

ゴッタルド峠

右も左も山山山のドライブ
ゴッタルド峠のトンネルの長さは なんと17km!

このとき アルプスの峰々を眺めながら

美しい山々に上手くカモフラージュされた軍事施設もたくさん見ました。

徴兵制度や有事への備えといったことについては

既にピーター達から教えて貰っていたのだけれど

まるでリュックサックを背負うかのような氣軽さで

小型機関銃を肩から掛けている男性を街角で実際に見て

平和ボケしていた20歳そこそこの私は色々と考えたものです。

スイスの軍事施設

パッと見た目には氣がつかない軍事施設が山のあちこちにあるのです
(写真はお借りしています)

永世中立国だからこその生き方というか覚悟というのかな

そんなものを感じながらの

ドイツ語語圏からイタリア語語圏のルガーノへのドライブでした。

 

ピーターが私を連れていってくれたルガーノはイタリア国境の美しいエリアで

その地に住む彼のお姉さんの家で一泊させて貰い

私がやりたかったこんなこともさせて貰いました(笑)。

アルプスの少女ハイジのブランコ

山肌に沿って建てられた家に子供達の為に作られたブランコを見つけ思わず叫んでしまった私(笑)
(画像はお借りしています)

アルプスの少女ハイジのブランコです。

私が子供の頃に大好きだった本がハイジの本で

ハイジのブランコにいつか乗りたいと言っていたことを覚えてくれていたのでしょうね。

 

ほら 乗ってみたら?

 

と言われたときは もう嬉しくって嬉しくってハイジになった氣分

いっぽう あまりにも勢いよく そして延々にこぎすぎる私の姿を見て

自分のブランコが壊されてしまうかもと不安そうな顔をしていた甥っ子ルカ

あれも今となっては 忘れられない思い出の1ページです。

 

日本人観光客にとても人氣のあるスイスですが

私がスイスに訪れるときはいつも友達の住むローカルなエリアで過ごしていたこともあり

典型的な観光地を見て回った私の両親とは全く異なるスイス像というものを持っています。

 

決定的な違いは

とにかく 懐かしくってしょうがないという想いかな。

特に 観光地化されておらず

厳しい自然と人々が共存しているエリアに流れているエネルギーが

たまらなく懐かしく 今 思い出しても恋しくなってしまいます。

マッターホルン

人が旅に出るのは

その人の魂が故郷の地を訪れたい

と訴えかけているからだよ

 

と言われたことがあります。

 

そして

その地とのご縁を繋いでくれた人

または

そこに辿り着くまでに出逢った人はみんな

遥か昔 共に過ごしたお仲間さんなのだそうです。

大好きな風景

友人が撮った彼の故郷の写真
28年前の私が見ていた風景で 心懐かしい…

魂の故郷を訪ねる旅は

本来の自分に繋がっていく旅でもあるので

今までに出掛けた土地やその地で出逢った人々のことを

ノートに書き出してみるのも良いかも知れませんね。

 

今の皆さんにとって必要な情報や

大切な人との再会へと結びついていきますように。

 

Elven Blessings,

Mika